『 潮時を考える 』
2010/09/08 の つれづれ
引退親父
物事、始めがあれば、終りが有る。

その終りを、見極めるのが大変難しいと思っている。

私は、今までも、色々の事で、勇断や見切り等を、現在と未来を想定して、決断してきた。

結果として、良かったのか、悪かったのかは、別にして、現在を凌いでいる。

そこで、何回かの決断によって、柵(しがらみ)から脱皮したつもりだ。

人は、私に、その決断を、良い決断をしたと言われるが・・・

味わってみないと、物事を決断して、止めると言う事は、並大抵ではない。

そこまで、決断して止める事を実行に移すまでは、当然とそこには、悩みが生じる。

悩んだ挙句に、結果は、快楽と安堵を我が身に与えてくれた気がする。

そこで、バイクお話であるが・・

私は、47歳の時、まだ、Goldwingが世に知らしめていない頃の、1988年10月に、89年式の

GL1500と取得する事になった。

それから、21年間、バイクに跨り、日本中を走り抜けてきた。

最初は、何方も、バイクに乗り出すと、乗りたくて、乗りたくて、堪らない感で乗り回していた。

そうこうする内に、一年・又一年と、知らぬ間に21年の歳月が過ぎて、

私の歳も、気が付けば、68歳の半ばを過ぎてしまっている。

買い込んだばかりの時、GL1500もおもちゃの如く、軽々と跨って走っていたようだが、

年を重ねる毎に、GL1500の重量が、我が身に圧し掛かる気がして来た。

年齢的な体力の衰えは、全ての事に、感じる年の節が有るが、

重いと感じ始めた時に、現在のGL1800に乗り換えて、操縦しやすい事で、バイクに跨る気持ちは
蘇った気もしたが・・

未だ、日本一周海岸線で、達成出来ていない地も有るが、走ろうと言う、気力は、かなり失せて来ているのは確かである。

私の知る限りでも、高齢でも、まだ乗ると言う方も居るが・・・

『走り尽きるまで 無事こそ名人』を謳い文句に、している私にとって・・・

自分が、無事であれば、良いのでなく、他人にも、迷惑を掛けない事も、無事こそ名人と思っている。

そこで、私が、これから、幾つまで、バイクに乗り尽くせるかを、最近は、良く考えるのだ。

予断だが、我の父の決断も大変早かった。

70歳の時に、免許書を返上して、運転を止める決断をしたのを、目の当たりに、見ているからでも有る。

父がとったこの決断は、今でも、素晴らしい決断だと・・・・

私は、今現在、決断は出来ないが、指折り数えて、自分がバイクを下りるのは、何時かを見越して考えている。

時代も変わり、現在は、高齢者の免許書の更新がかなり難しくなって来ているが・・・

先を見越した時・・

後2回ほど、更新出来れば、潮時では無いであろうかと、想定している。

簡単に、年を言えば、75歳を、潮時と考えているのである。

年を重ねてくると、自分は健康であると自負していても、体力・気力は、知らぬ間に衰えて来ていることも、実感として感じている。

私は、意固地に柵に噛り付いて、バイクに乗ろうとも思っていないので有る。

バイクは、健康でまだ元気の内に、乗って楽しめる事が大事であると思う。

『走り尽きるまで 無事こ名人』

それは、自分の決断では、75歳と、決めた。
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