晴れ
参加者:富士から「あすなろ@木野氏」:東京から「おじゃま蟲@上岡氏」:世話人WEST@西谷氏:筆者:と:久しく一緒に走っていない成田のご老公@斉藤氏を誘っての、2年ぶりに再訪して気仙沼・大理石海岸の民宿高見荘での荒磯料理を堪能するべく、一路東北道を下って行く珍道中である。
2005/09/17
こんなバイクがこんなになっても?高速を走る。
黄門@斉藤氏
世話人
WEST@西谷氏
おじゃま蟲@上岡氏
あすなろ@木野氏
GWS管理人@尾形
斉藤氏のバイクは”1980式のアマノゾネスを3年かかって作り上げたものを引き取ったのであるが、引き取ってすぐに、追突して、原型も無残にこの様なスタイルに、斉藤氏が仕上げたのである。
バイクに対する情熱は、75年に及ぶが素晴らしい結晶である。
三連休の土曜の朝、働いている人が多いのか、朝6時に東名の向かう16号で渋滞が続くのである。
東名横浜ICに着いたところで、富士からあすなろ氏の無線が入り通過していくのを確認。川崎料金所で合流。
さて、首都高に渋谷に向かうが大渋滞は止まず、東北道蓮田SAで、8時半集合に大幅に遅れそうである。
8時半ごろ浦和料金所にやっとこ着いたが、先に蓮田SAで待ち受けている、斉藤氏上岡氏から、電話が入ってくる。かろうじて、40分遅れで蓮田SAに着いて、したことは遅刻に対しての「お詫び」から今日の始まりである。
普段であれば、ここで朝飯となるのであるが、遅刻した為に、上河内SA迄行き、朝飯と給油をすることにして、一時間遅れで出発となる。
初めて、お目にかかる斉藤氏のバイクに話は尽きないが、東北道を走り出すが、アマゾネス・スバル号の走ることには驚きを新たにしたのである。
何Kmで走ったかは、行ったものだけの秘密とするが、75歳の跨るバイクを奇怪に思いながら我らは後追おう。
上河内SAに着き、お約束通りに、皆様で朝飯”天玉そば”を食べ、給油を済ませて、又ひた走ったのである。
朝の遅れは、取り戻すことが最後まで出来ず、給油から給油と、走ったのである。
当初の予定は松島を観光の予定を変更して、一関ICに直行。
一関に4時近くなり、国道284を気仙沼へと走る。
気仙沼近くになった時に、今日の宿泊先の高見荘の親父さんから2度も電話が入り、心配して確認電話である。
何とか、5時過ぎに、民宿にたどり着いたのである。
 
民宿高見荘に着いた。親父さんとお上さんが出迎えてくれる。
高見荘の出会いを簡単に書いてみる。5年前に岩手を走りに来た時に、案内所で紹介してもらったのがきっかけで、親父さんが私と生年月日が同じである事も奇遇であるが、歓待してくれたことで、岩手一人旅で、行き帰りに宿泊したことからの知り合いとなったのである。
到着後、玄関前で、談笑しながら、”ホヤ”に初挑戦と言う”あすなろ氏”に、草々に料理してもらい、生ビールを飲みながら、食べてもらった。
感想は「嫌いでない!」との事、そして、”ホタテの刺身”を、堪能して寛いだのである。
どれをとっても新鮮で、大変美味い。
後の、斉藤氏や西谷氏は以前にも来ているので、なれたものである。
 
 
外での美食と団欒も尽きなく、暗くなり、民宿の玄関をやっとこ入り、
部屋に入り、皆様の今日一日の疲れをお風呂に入り洗い流してもらい、洗礼された体に浴衣を羽織
いよいよ、今夜の宴の始まりとなる。
 
民宿・高見荘・・宴は・次のページ
美味いものを鱈腹食べて、お酒を鱈腹飲んで、満足と疲れは誰でも同じなのか、その後に来るのは、心地よく眠る寝床の争奪なのであるが・・・
必ずと言って良いが、「私は、いびきをかく」とのお言葉である。
自己申告に違いないが、私いったては、自覚症状がわからない為に、その時によって、かいたりかかなっかったりで、どうでもなれと?・・・
寝床に入ったら、パッタングーで、人がどうしたかは、朝までわからなかったのが事実である。
9月18日・二日目・帰路に続く
2005/09/17〜18


陸中海岸・グルメツーリング
総走行:1308q≒817.5マイル
気仙沼大理石海岸・民宿高見荘・荒磯料理三昧⇒2年ぶりの再訪グルメ